ドイツ留学を決意させてくれたホルン奏者

こんばんは。

このCDを探してたんですが、やっと見つけて、本日受け取りました。

このホルン奏者、多分この方を知っている人、日本に3桁は居ないと思います。

ゲルハルト・シュレーダー

1986年、私が二浪して大阪の相愛大学へ行った年、ハンブルク北ドイツ放送交響楽団が日本に初来日する事が、テレビCMを通じて知りました。

それまでに日本で有名だったドイツの放送響は、ケルン、バイエルン、シュトゥットガルト、そしてベルリン位でしたかねー。

でも、何故か惹かれるものがあり、チケットを買って、シンフォニーホールへ聴きに行きました。プログラムもよく、ベートーヴェンの7番と、ブラームスの1番シンフォニー。

私も若かったのもありますが、終わったら楽屋口へ行き、その日一番を吹いていた人にレッスンをお願いしようと待っていました。

当時は、楽屋口のすぐ前にプラザホテルがあり、もうそっちの方へ帰られたよ、っと恐らくデュトワの出待ちをしている人から教えてもらい、いざプラザホテルへ。

ロビーはごった返してましたが、上手くホルン奏者を見つけ、話しかけるも言葉が話せない。

まだ習いたてのドイツ語を、とにかく覚えて行ったのですが、飛んでしまって、どうすることも出来ず、困っていると、その人がちょっと待ってと言い、通訳の人を連れて来てくれたんです。

とにかく、あなたのレッスンが受けたいという事を伝えたら、「明日、メイシアターで、朝比奈隆との練習が有って、僕はマイスタージンガーだけだから、オケが他の曲(ブルックナーのロマンチックだったのですが)を練習している時に、楽屋で出来るかもしれないので、来たら良いよ」と約束をしてもらいました。

で、次の日にレッスンをしてもらったのですが、このレッスン、スケールのみ、それも徹底的に教えてもらったんです。でもこれが、今まで聴いたのは何だ?って思う位凄いスケールで、明確なアタック、重心のしっかりした音だけど重たくなく、でもよく響いた音。

その時に、シュレーダーのお腹を押さえて、このように身体を使って吹くんだ、って言われたのが、あまりに衝撃的で、「これは日本に居てる場合やない」と、ドイツ行きを決意するきっかけになりました。

私とご一緒した方なら一度は私のスケール練習を聴かれた事があるかも知れませんが、あのスケール練習、シュレーダーに習い、およそ35年経った今でも続けています。

教える時も、セクハラと言われようが、私のお腹を触ってもらい、また触り。今でも私が、その時受けた感動の何万分の1、かも知れませんが、相手に伝わって欲しいという思いで続けています。

当時の北ドイツ放送響って、ドイツの中でもコテッコテのドイツーー。ってオケで、留学してた時も、何度かハンブルクに聴きに行きました。

余談ですが、レッスン終わったあと、「リハーサルを聴いていったら良いよ」と言ってもらったので、ブルックナーのロマンチックを聴かせてもらいました。

また、その時一番を吹いていた方は、シュレーダーとは違うタイプでしたが、透明感の有る、ビロードの様な溶けるような音色、完璧なテクニック、本当に素晴らしかったんです。

それ人は後になって知ることになる、アプ・コスター氏でした。

シュレーダーさんは残念ながら18年前に亡くなりました、コスターさんは今でも師匠として、めっちゃくちゃお世話になっています。

よく考えたら、何かとハンブルクは馴染みがある街になりました。最初仕事をしだしたキールという街は、ハンブルクから約100キロ北に位置し、住んでいたデトモルトからですと、必ずハンブルクで乗り換えればならず、いつも通っていた街で、ちょっと思い入れが有ります。

このCD、前から存在が有ることは知っていたんですが、やっと見付けて聴くことができました。

派手さはないですが、その音、音楽、全てが素晴らしい。

機会があれば、是非このCDを聴いて下さい。お薦めです。

なんぼでも長くなりそうなので、今日はこの位で。

お休みやす。

ドイツ留学を決意させてくれたホルン奏者” に対して1件のコメントがあります。

  1. 古都古典 より:

    そんな凄い方がいらっしゃったのですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

前の記事

時間に追われる